2018年はライブ60本程こなし、それに近いくらいの本数誰かのライブを観に行き、音源制作に2枚関わり…少なくとも一年のうち丸々半年分は音に浸かっていたような。そう思うと、まぁまぁよくぞ暮らせたものです。
他の仕事も、なかなか黒字化しない事業をなんとかしようと日々励み、やっと何となく見えてきたような頃合い。僅かに残っていた誰か目線の自尊心を捨ててしまえば、実はやる必要がなかったんだということが多々見つかり捨てたりやめたり。そんなわけでどんどん好きなように暮らせるようになってきたのか、たまたまなのか勘違いなのか。まぁなんでもよろしい。


来年の目標を立てようとかそんな気持ちもさらさらなく、ただただ流れていこうと思っているけれど、とにかく早々に引っ越しをしよう。日々の暮らしの中で、練習したりセッションしたりを、仲間と頻繁にゆるく行えるようにしたいんだな。料理をつまんで酒を呑みながら。そんなお部屋、見つかりますように。


田舎の家に行くと、帰りにいつも魚を買い込むようになった。お頭つきで売ってる魚は何倍も美味しいし楽しめる。今回はそこそこ大きめのスズキを3匹。和洋中色々できるので、捌いて小分けにして冷凍しておく。これで何日もちょこちょこ楽しめる。腹を開くと、1匹はメスで卵がどっさり。肝も大きくてきれいだった。残りの2匹はオスで白子がたっぷり、肝もまた立派な。それぞれの部位で、またまた数品つくれる。
こうして解体していると、この3匹がまだ海で泳いでいたら何匹子どもが生まれたんだろうとしみじみ思う。僕はいったいいくつの命を我が身に取り込むんだろうかねぇ。
欧米の人は、クジラを殺すのが可哀想で牛や豚や鳥はそうでもないらしい。その判断は、どれだけ知性が高いか…みたいなことになるようだけれど、それは驕り高ぶりすぎだと個人的には思う。どの命も1つの命で、僕の命も手元の魚の命も価値は同じでしょう。おネギを刻む時もやはり同様の感情になるし、生きるとは穢れにまみれているものよ。殺すのはいつでも誰でも可哀想です。なので有り難く楽しくいただきたいんだな。

そんなわけで、売れ残ったクリスマスケーキや鶏が大量に廃棄された…というニュースには酷く胸が痛みました。


最近は、古事記と聖書、あとネットで流し読みできる古史古伝を比べて読むのにハマっている。共通点がたくさん見つかったりその他諸々。聖書は子どもの頃から随分と読む環境で育ったもので、何なら今だにかなり覚えているんだが、今回は文語訳のものを初めて読んでおりかなり興味深い。口語訳で削除されているものが残っていたりと。


6年以上前から続けている第四水曜日の定例ライブ。今年も無事?終わった。。。。